医療の情報と患者の知識(1)

西だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     
日本では、個人の医療情報は、自由に閲覧することは難しい状況にある。
もちろん重大な疾患など、個人でその情報に接することが望ましくない、というケースもあるかもしれない。
だが、自分の医療情報を知ることは、自分が受けている「治療の意味合い」も自分で学ぶことができるようになることも確かだ。
今日は、医療情報の開示に関するWebの記事を見つけたので紹介しよう。
         
      
●日本人がカルテのすべてを見る日~医師と患者の関係は変わりつつある
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51627
       
▼日本の常識では想像しづらいこと
        
日本は医療機関へのフリーアクセスが他の国にも増して保障されている国である。
たとえば、決められたかかりつけ医の紹介がなければ専門医にかかれないといったイギリスの様な決まりはなく、町医者でも、大学病院でも、行きたい病院を選ぶことができ、待ち時間はあれど、飛び込みで診察を受けることもできる。
さらにアメリカのように高額な医療保険に自分で加入する必要があったり、あるいは北欧のように20%を超える消費税を払ったりする必要もなく、現役世代であれば3割、75歳以上であれば1割の負担で医療費の支払いは済む。
加えて高額療養費制度を使えば、月額の負担額は10万円以内におおむね抑えられる1。もちろん財政が立ち行かなくなっているという大問題はあるが、医療に関する制度設計自体はとても充実しているといえるだろう。
このように私たちはそれほどの経済的負担なく、医療機関へのフリーアクセスを享受しているが、一方で自身の医療情報へのアクセス権はあまり持っていない。いや正確には、持っていないことが当たり前すぎて、持っていないことに気づいてすらいないといえるだろう。
たとえば私たちは、医師の書くカルテを自由に見ることはできない。見られるとすれば診察室の中であり、それであってもすべてが公開されていない場合もある。
医師は私たちの話を誤解してカルテを書いているかもしれないが、私たちがカルテを見る機会と時間はあまりに限られているので訂正のしようがない。
しかしこれは私たちについてのことである。間違っていたら訂正したいと思わないだろうか?
検査結果を聞くためだけに、病院で何時間も待つことも日本では当たり前の光景である。
しかしこれだけテクノロジーが発達した時代であれば、検査結果がでるやいなやオンラインで見ることができてもいいのではないだろうか?そうすれば診察の待ち時間を使って自主学習をし、診察に備えることができる。
加えてセカンドオピニオンなどで、医療情報を持ち出したい場合は、お願いをして病院から譲ってもらう必要がある。しかし自分自身についての資料なのに、なぜそれをこちらからお願いし「出していただく」必要があるだろうか。こちらもオンラインで好きなときに持ち出せてもよいのではないだろうか。
私が今書いたようなことは、いまの日本社会の医療常識では想像がつきにくいはずである。しかしよく考えると、これは不思議なことではないだろうか。
病気になっているのは私たちであり、病院が管理する情報も私たちについてのことである。なのになぜ、当事者である私たちが、自分の情報へのアクセスを制限されるのか。なぜ当事者ではない医療者が、公開する情報と公開しない情報を選択的に決められるのか。
もし銀行の口座情報に、このようなアクセス制限がかかり、口座の新しい入金情報を確認するために銀行で2時間も待たされたり、一部の情報が銀行員により選択的に隠されたりしていたら私たちは烈火のごとく怒るだろう。
しかしこれが医療情報になると、私たちはこの事実を漫然と受け入れる。これはいったいなぜなのだろう?
「口座情報と医療情報は全く質が違う」と考える方もいるかもしれない。
しかし世界に目を向けると、欧米を中心に、患者がオンラインで自分の医療情報にアクセスできるサービスがすでに展開され始めている。
その中には、医師に会う前に、検査結果をオンライン上で確認できたり、医師がカルテを更新するとそのお知らせが患者に届いたり、さらには患者が医療者に質問を送ることのできる機能を備えたポータルサイトも存在する。私たちには想像もつかないレベルで医療情報の公開がいま世界では起こりつつあるのだ。
それでは、そのようなサービスはなぜ始まり、どのような効果をもたらしているのだろう。米国で始まったOPEN NOTESというプロジェクトを中心に紹介したい。
         
▼「私なしに私のことは存在しない」
            
2001年に「患者の視点を通じて―患者とヘルスケアプロフェッショナルの協働」(”Through Patients’ Eyes:Collaboration between Patients and Health Care Professionals”)と名付けられたセミナーがオーストリアのザルツブルグで開かれた。
参加者は29ヵ国から集まった64名であり、医療専門家、患者団体の支援者、病気の当事者、メディア関係者、芸術家、社会学者と実に多様である。
かれらが5日間にわたるセミナーでおこなった作業は実にユニークであった。
まずかれらは、患者が医療現場において受動的な情報弱者になってしまうことを踏まえ、「私なしに私のことは存在しない」(Nothing about me without me)という命題を、セミナーの基本指針として共有した。
自分の病気のことには常に自分がかかわる、という患者側の姿勢である。
その基本指針のもと、”People Power”という仮想国が存在するとし、参加者は”People Power”に入れ込むヘルス・ケア・システムを議論した。
そこで目指されたのは、医療者や研究者にとって使いやすいシステムではなく、あくまでも患者主体の、患者が不在にならないシステムである。
濃密な5日間にわたる議論の末、参加者が出した結論は強力なセキュリティを持つインターネットベースのシステムであり、それは次のようなものであった。
“People Power”の国民は、オンラインで自分の医療情報にいつでもアクセスすることができる。診察は録音あるいは録画されており、こちらもオンラインでいつでも振り返ることが可能だ。
また患者は診察予約や処方ばかりでなく、医師が立てた治療計画や診察時の所見を確認し、意見や修正があれば書き込んだり、次の診察に向けた自分の病気についての学習をネット上に用意された教材で行ったりすることもできる。検査結果はリアルタイムで確認することができるため、それをみて次の診察のための学習をすることも可能だ。
見て明らかなように、このシステムは、診察室の中でしかできなかったことを、自宅にいながら行うことを可能にする。しかしこうすることの目的は、医師と患者とのやりとりを機械に移譲し、医師と患者の対話を希薄にすることではない。
目的はむしろ逆であり、診察室でなくでも可能なことをできるだけ外部化し、診察室の外で患者が学び、考えることをできるようことを狙っている。医師との短い面会時間を、最大限有意義なものにすることがこのシステムの目的なのだ。
         
▼隠されていた経過記録も公開
        
仮想国「People Power」のシステムは、聞いただけでは単なるおとぎ話であろう。「あったらいいよね。でも現実はそううまくはいかないよね」というわけである。
しかしこのセミナーから10年後、People Powerのシステムの一部が米国で現実化する。
それが先に紹介したOPEN NOTESだ。
米国では患者ポータル(patient portal)と呼ばれる、セキュリティの高いシステムの提供が1998年から始まっていた。
これにより一部の患者はオンライン上で医療情報にアクセスすることができるようになったが、個々の患者についての「経過記録」、すなわち診断名、医師が記した病状に関する見立て、今後の治療計画などは伏せられたままであった。
しかし2010年に開始されたOPEN NOTESでは、経過記録も含めたすべてが公開された。これにより患者は、医師が自分についてどう考えているかまでも、オンラインで確認できるようになったのである。
プロジェクトに参加した病院は、ボストン、シアトル、ペンシルバニアにある3施設であり、参加した医師は150人、患者は2万人であった。すべての情報が患者に公開され、医師がカルテを更新すると、お知らせが患者に届く機能が整備された。
徹底的な情報公開である。
そして1年後。
OPEN NOTESは、想像以上の成果を出す。
参加した患者の99%がこのプロジェクトの継続を望み、うち8割の患者がより主体的に自分の治療に関われるようになったと報告していた。さらに6割超が、以前よりも処方通りに薬を飲むようになったと答えた。
さらに注目したいのは、若い世代と高齢世代、高学歴と低学歴の患者群における満足度差が見られなかったことである。
ITに若者ほど慣れ親しんでいるとは思えない高齢者、ともすると自分の健康についてあまり関心がないような思われてしまいがちな低学歴層の満足度が、その逆のグループと変わらなかったのは一見奇妙な現象に思える。
しかし高齢であったり、低学歴であったりすると、言葉の難解さ、話すスピードの速さなどから、診察室での医師の説明も理解しにくくなることを考えれば、その理由は推測しやすいだろう。
診察室でわからなくても、カルテを家で振り返ることができれば、自分のペースで診察の内容を復習することができる。情報への自由なアクセスは、高齢者層、低学歴層ほどむしろ重要である可能性があることがこの調査からうかがえる。
        
       
今日は、まず記事の前半部分を紹介した。
記事自体は長いので、続きは明日にしたい。

                       
おまけ★★★★大田のつぶやき

患者側が医療情報を知り、自ら学習しようとすることは、メリットとデメリットの両方が存在するとは思います。
症状から病気を判断することは医師の分担ですが、いくつも書かれた症状の一部だけを切り抜くと、正しい病気の判断ができないことは医師は知っていますが、患者はそれを知らないケースがあるからです。
これは、医療に対する基本的な知識を有しているかどうかの違いでもあるのですが、情報を開示することによる弊害と、その弊害をどのようになくしていくことができるのかは、議論が必要に思います。