医師は病気を治せるのか?(2)

東です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     
今日は、昨日の続きで、医師が行う「上手なサポート」の前提条件として体制や体面の問題が関係することについて述べたいと思います。

1999年6月に、東北大学病院の前の横断歩道を自転車で渡ろうとした女子高生が歩行者にぶつかり転倒、市バスにひかれる、という事故がありました。
この時、東北大学病院の救急部の医師がかけつけて診たそうですが、致死的な恐れが多い「骨盤骨折」と診断しながらも(動脈が破裂して、体内で大出血が起きている恐れがある状態)、目の前にある東北大学病院への搬送は無理と判断して、別の病院への搬送を選択、結果的に3時間後、女子高生は亡くなりました。
この事故を検証した番組のインタビューで、女子高生を診た救急部の医師が東北大学病院への搬送が無理、と判断した理由を述べていますが、その内容は「もし彼女を連れて行っても、なぜこんな患者を連れてきたのかと(病院内から)非難の誹りを浴びることになっただろう」というものでした。
その理由として、大学病院とは、本来、専門分野を研究する医療機関であり、全身を診て診断が必要になる救急医療の体制が整っていなかったから、ということが挙げられていました。
しかし、東北大学病院は、事故当時、医師数1000人、ベッド数1300の、東北地方で有数の大病院で、症状的にこの患者を治療する「技術」を持たない病院でなかったことは確かです。
体制と体面の問題から、受け入れなかったことについては、一般の方が聞けば憤慨する内容とも言えますが、これも先に述べた「上手なサポートをするための前提条件が整っていなかった」からこそ生じた問題とも言えるでしょう。
現在では、東北大学病院も、この事故をきっかけにして本格的な救急医療の拠点となる高度救急救命センターを立ち上げ、地域の救命医療に深く携わるようになりましたが、それまでは、救急部のベッドすら病院内になかったそうです。

最初に事故にあった女子高生を診た医師も、最善の上手なサポートを行う「前提条件(病院側の体制)」が整っていないことから、次に最善と思われる上手なサポートとして他の病院への搬送を選択したわけです。
その選択は、(当時の)病院側からすれば正当な選択だとしても、患者側すれば納得いかない選択に見える部分があるのではないでしょうか?

患者側を仮に受け入れても、救急医療の体制が整っていないことから、診療する医師や検査技師、検査機器を確保するために要する時間を考えれば、そうした体制が整った病院へ搬送した方が、「よほど早く診てもらえる」と判断した医師の選択は誤りではないはずです。
病院も、マシンが運営しているのではありません。「人」が運営しているのです。
救急と医療の体制が整っていない医療機関が、その場ですぐに診断、そして治療できる「専門医」と検査機器、検査技師を「即座」に準備することは、例え大学病院など大病院であっても不可能なのです。もちろん、時間をかければ、準備できるでしょう。しかし、その準備に要する時間は数分どころか数十分でも難しいのが現実です。緊急性が高い状況の場合には、救急医療体制が整った病院に搬送した方が短時間の診療が可能、ということになります。
しかし、瀕死の患者を目の前にして、なぜ「すぐに」診療できる医師を確保して、診療する検査機器と検査技師を「すぐに」準備できないのか、一般の方は疑問に思われる方も多いのではないでしょうか?

今回のWebでの記事にあった、

くわばたは、病院は100%病気を治せるわけではないといった大竹氏の言葉に噛み付いたのだ。くわばたは「それを病院が言ったらアカンちゃうの?って思うんですけどね」と非難を込めて怒りを露わにした。

という部分も、同様の患者側の「憤り」のような感情からくるもののように思います。
患者は「病気は病院が治すもの」と考え、医師側は「病気は患者が自身で治すもの(病院は、治す「お手伝い(サポート)」をするところ)」と考えています。
治す主体が、病院側と患者側では全く真逆になっている、ということが言えます。
そして、ここに大きな問題が潜んでいます。
続きは明日にしたいと思います。

                    
おまけ★★★★博士のつぶやき

医療とは「命」を扱う以上、そこには尊いものがあることは確かじゃ。
しかし実際には、医療に対して必要な「費用」というものも存在する。
ボランティアで医療を行うことはできても、何らかの支援がなければ、永遠にそれを続けることはできん。医療とは医師の「職業」でもあり、そこには対価が求められる。
例えば、一つの疾患に対して血液検査、CT検査を行った場合、医師以外にも看護婦、そして検査技師、CTの器械メーカーなど、多くの人が関わり、そこには相応のコストもかかってくることになる。
医療とは「医業」でないと成り立たないことは忘れないようにしたいものじゃ。