アトピーの完治とは何か?(2)

今日は、昨日の続きじゃ。

 

 

 

 

 

 

 

アトピー性皮膚炎で病院で治療を受けた場合、医師が「治った」と表現するのは、どのような時じゃと思うかの。

薬をつけながら「痒み」がない状態が維持できた状態なのか、薬を使わなくても「痒み」がない状態になったときなのか・・・・

実は、アトピー性皮膚炎の治癒とは、内的な要因による疾患の治癒、とも言えるので、この両者の解釈は、広義に考えると両方とも「正しい」と言えるのじゃ。
なぜなら、アトピー性皮膚炎患者が、アトピー性皮膚炎と認識している「病気の状態」とは、「皮膚に痒みや炎症が現れた状態」じゃからの。

少し前のブログに載っておったが、「花粉症」を例に考えると分かりやすいじゃろう。
スギ花粉症は、基本的に、杉花粉が空気中に飛散する時期に症状が現れる。
したがって、杉花粉の飛散が多い、春の時期には「病気になった」と認識することになる。
ところが、春が過ぎて鼻水がでなくなってくると、「杉花粉はようやく治った」とホッとする人が多い。
じゃが、考えて欲しい。
鼻水が出なくなった人に、再度、杉花粉の中で生活してもらったら、どうなるじゃろうか?
そう、再び、鼻水が現れることになるじゃろう。
では、そのとき、その花粉症が再度現れたことは、花粉症という病気の「再発」と考えるべきなのじゃろうか?
答えはNOじゃ。
花粉症という疾患そのものは、体の中では何の解決もされておらんかったからこそ、杉花粉というアレルギーを引き起こす原因物質に「出会う」ことで鼻水、という症状が現れたわけじゃ。
これを、そのスパン(間隔)を一年単位で見れば、杉花粉が飛散する時期に症状が現れる、飛散が終わると症状が落ち着く、ということになるが、結局のところ、花粉症、という疾患自体は、花粉症の症状が出ているか出ていないかに関わらず、「治っていない」ということが言えるじゃろう。

つまり、多くの人が花粉症に対する「完治」とは、病気に対する「完治」ではなく、症状に対する「完治」じゃった、ということじゃ。

そして、話をアトピー性皮膚炎に戻してみると、アトピー性皮膚炎で「痒み」という症状がなくなれば、これを「治った」と考える場合、その過程の中で薬を使う、使わないは、あまり意味がない、ということじゃな。
なぜならば、薬の使用の有無にかかわらず、治っているのは「症状」だけであって「病気」ではないため、アトピー性皮膚炎の痒みや炎症といった症状を体が現わすような原因が生活内で現れれば、いつでも「症状」は現れることになる、つまり、花粉症で言うところの花粉がない季節に花粉症が現れていないだけ、と同じ、ということじゃ。

厳密に言えば、花粉症とアトピー性皮膚炎は同じアレルギー疾患の要因は持っておっても、その仕組みと働きは異なる部分も多いので、全く同じとは言えんのじゃが、「完治」「再発」というキーワードで考えると、それが意味するところには共通項は多いと言えるじゃろう。

このように、内的な要因を原因とする疾患の場合、「完治」という状態を「病気」に対して求めていくのであれば、完治至るためのアプローチも、「病気」に対して行うことが必要になってくる、ということじゃ。

じゃが、仮に「病気」に対して改善できるアプローチを行っても、一つの「アトピー性皮膚炎」という疾患でくくって考えた場合、「完治」という言葉が使いづらいこともある。

それが何かは、明日じゃ。

  
おまけ★★★★博士のつぶやき


今日の話の中で「薬の使用の有無にかかわらず症状の完治の状態は同じ」という表現を使ったが、これは、分かりやすくするためのものじゃ。
なぜなら、ここには薬の使用による「ダメージ」を含んでおらんからの。
もちろん、厳密に掘り下げていけば、薬を使うことのリスク、薬を使わないことのリスク、両者がそれぞれ存在しておるわけじゃから、どちらのリスクの方が、アトピー性皮膚炎患者にとって良くないのかは、患者ごとに異なっては来るがの。
いずれにしても、「完治」という意味合いを「症状」を指して考えている上では、その善し悪しは別にして、薬の使用の有無に大差はないことは確か、ということじゃな。