泥のおかげで蓮の花が開く

こんにちは。南です。
今日は、ある偉人のお話をしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

三重苦の聖女へレン・ケラーが、「私より不幸な、そして偉大な人」と語ったと伝えられる中村久子さんのことをご存知でしょうか?

その方の人生を知り、またその方の詩がなんとも恵まれている現代社会に生きる私にとって、何か考えさせれれるものでしたのでご紹介いたします。

わずか三歳で両手両足切断の非業の運命を背負いつつ、見事に生き抜いた不屈の人。
その生きざまは人々に人生の大きな指針を与えてくれます
少し生い立ちなどご紹介いたしますが、もっと詳しくは知りたい方は「中村久子」で検索なさってみてください。
色々と感銘をうけるのではないかと思います。

 

中村久子生い立ち(ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋)

明治~昭和期の興行芸人、作家。両手・両足の切断というハンデにも関わらず自立した女性で知られる。
1897年(明治30年)11月25日、岐阜県大野郡高山町(現高山市)で父・釜鳴栄太郎と母・あやの長女として出生した。2歳の時に左足の甲に凍傷をおこしその後左手に凍傷は移った。凍傷の影響から高熱で真黒に焼け痛みと苦しみは昼夜なく久子を襲った。続いて右手に移り最後に右足に移った。

3歳の時に凍傷がもとで、 特発性脱疽となる。手術すべきかと幾度となく親族会議をし決断を下さないうちに、左手首からポロリと崩れ落ちた。右手は手首、左足は膝とかかとの中間、右足はかかとから切断する。幾度も両手両足を切断し3歳の幼さで闘病生活が始まる。

7歳時に、最愛の父・栄太郎がこの世を去る。不幸は続き10歳の時に弟とも死別する。そんな激動の生活の中、彼女を支えてくれたのは祖母ゆきと母あやであった。祖母ゆきと母あやの厳しくも愛情のある子育てのお蔭で、久子は文字や編み物を出来るようにまでなった。

青年期
1916年(大正5年)、20歳になった久子は地元高山を離れ一人暮らしを始め、久子は「だるま娘」の名で見世物小屋での芸人として働くようになる。実際のところ、見世物小屋に入ったのは本人の意思ではなく、母と再婚した父が身売りした為であった。見世物小屋では、両手の無い体での裁縫や編み物を見せる事が芸であった。順風満帆に見える久子だったが不幸もあった。最愛の祖母の死や夫の死、それでも久子はくじける事無く働き続けた。その後1934年(昭和9年)興行界から去った。

久子は見世物小屋で働き始めた時「恩恵にすがって生きれば甘えから抜け出せない。一人で生きていかなければ」と決意し、生涯を通じて国による障害者の制度による保障を受けることは無かった。

見世物小屋を辞めてから晩年まで
1937年(昭和12年)4月17日、41歳の久子は東京日比谷公会堂でヘレンケラーと出会う。久子はその時口で作った日本人形をヘレンケラーへ贈った。ヘレンケラーは久子を、「私より不幸な人、私より偉大な人」と賞賛したという。翌42歳の時、福永鷲邦氏に出会い、「歎異抄」と出会う。

50歳頃より、執筆活動・講演活動・各施設慰問活動を始め、全国の健常者・身障者に大きな生きる力と光を与えた。久子は講演で全国を回っている中で自分の奇異な生い立ちを語るとともに、自分の体について恨む言葉も無く、「『無手無足』は仏より賜った身体、生かされている喜びと尊さ」を語り、そのおかげで強く生きられる機会を貰ったと感謝の言葉、「人間は肉体のみで生きるのではなく、心で生きるのだ」と語っている。1950年(昭和25年)54歳の時、高山身障者福祉会が発足し初代会長に就任する。65歳の時厚生大臣賞を受賞した。

1968年(昭和43年)3月19日、脳溢血により高山市天満町の自宅において波乱に満ちた生涯に幕を閉じる。享年72。遺言により遺体は献体された。

 
手足のない状態というのは、泥のような状態だと思っていた久子さんはある時、

「泥は“悪”だとばかり思っていたが、そうではなかった。
泥があるおかげで、自分は蓮のように花開くことができただ」

という境地に到達されたのでした。

欲しいものは何でも手に入る現代社会の私たちから見れば、久子さんの生活は「何もない」といってもよいくらいの悲惨なものかもしれません。
しかし久子さんは、ある時、自分の心境を「ある ある ある」という詩に託して表現しておられます。

 

ある ある ある

さわやかな
秋の朝
「タオル とってちょうだい」
「おーい」と答える
良人がある
「ハーイ」という
娘がおる
歯をみがく
義歯の取り外し
かおを洗う
短いけど
指のない
まるい
つよい手が
何でもしてくれる
断端に骨のない
やわらかい腕もある
何でもしてくれる
短い手もある
ある ある ある
みんなある
さわやかな
秋の空

 

現代に生きる私たちの地球環境は、すっかり荒れ果てていて、お先真っ暗、泥沼のような状態といってよいと思います。
また、アトピーで苦しんでいるかたの心の中にも、自分の人生は泥だ!という心境のかたもいるでしょう。
しかし、今おかれている状況を、単に否定するのではなく、この現実をしっかりと受け止め、蓮の華のように美しく咲く道を探ると、そこに新しい人生が見えてくるように思うのです。

皆さんは、どのように感じますか?

 
おまけ★★★★博士のつぶやき

今の自分の状況は、どのようなものであれ、それが実際に「存在」する以上、それを自分の中で受け止めるしかないものじゃ。
その受け止める中で、どのように受け止めるのか?、それによって、気持ちの持ち方だけでなく、生活そのものも左右されることはあるじゃろう。
アトピー性皮膚炎は、長年、悩んでいる方にとっては辛い病気じゃろう。
じゃが、同時にアトピー性皮膚炎は、その症状も「変化」していくものじゃ。
悪い変化もあるかもしれん。
良い変化もあるかもしれん。
どんな変化であろうとも、その変化は全て「自分自身」であることを忘れずに過ごしたいものじゃ。
今、辛い状況にある人も、必ず「良い変化」はいつか訪れることを信じて頑張って欲しい。